大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成7年(ネ)2136号 判決

控訴人

愛澤清

右訴訟代理人弁護士

田中紘三

田中みどり

被控訴人

株式会社三洋紙工所

右代表者代表取締役

赤松祐司

右訴訟代理人弁護士

青木孝

橋本栄三

鈴木研一

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人に対し、金二五一万円及びこれに対する平成四年一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、二五一万円及びこれに対する平成四年一月二一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

控訴人は、被控訴人の従業員であった。

2  (消費貸借契約又は消費寄託契約)

控訴人は、被控訴人に対し、返還時期を控訴人が被控訴人の従業員の地位を失った時とし、その間被控訴人が積み立てた金員を消費できるとの約定で、別紙記載のとおり、給料天引きの方法により計七八一万円を積み立てた。

3  (返還期限到来)

控訴人は平成四年一月二〇日に被控訴人を退社したが、被控訴人は、右退社を同日知った。

4  (結論)

よって、控訴人は、被控訴人に対し、右消費貸借契約又は消費寄託契約に基づき、積み立てた計七八一万円のうち既に弁済を受けた五三〇万円を除く残金二五一万円及びこれに対する弁済期の翌日である平成四年一月二一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち、控訴人が別紙記載の金員のうち昭和四九年六月分までを控訴人の給料から積み立てたことは認めるが、その余は否認する。すなわち、控訴人は、控訴人名義で右積立てをし、その通帳も自分で保管していたものである。また、別紙記載の昭和四九年七月分以降の金員は、被控訴人が控訴人から借り入れたものであり、積立金ではない。

3  同3は認める。

4  同4は争う。ただし、被控訴人が控訴人に対し五三〇万円を支払ったことは認める。

三  抗弁(消滅時効)

1  控訴人主張の消費貸借契約又は消費寄託契約成立の最終日である昭和五四年三月から起算して五年(商事債権の消滅時効)又は一〇年が経過した。

2  被控訴人は、控訴人に対し、平成七年三月一四日、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。すなわち、右積立ては、いわゆる財形積立社内預金と同様のものであるし、控訴人と被控訴人は、控訴人が被控訴人の従業員である間は控訴人の自宅の取得資金とするためにのみ積立金の返還を求めることができる旨合意していたから、消滅時効の起算点は、平成四年一月二〇日以前に遡らない。また、右積立終了後も、控訴人は、独自の資金調達計画を併用して、給料の一部を蓄えるなどしてきたのであるから、右積立てが終了したからといっても、自宅取得計画が頓挫したことにはならず、自宅取得計画は、控訴人が被控訴人を退職する平成四年一月まで継続していたものというべきである。したがって、右積立金返還請求権の消滅時効の起算点は、平成四年一月二〇日以前に遡らない。

2  同2は、被控訴人において明らかに争わない。

五  再抗弁(権利濫用)

仮に、右積立金返還請求権の消滅時効の起算点が控訴人の退職時以前であったとしても、以下の諸事情に照らすと、被控訴人の右消滅時効の援用は、信義則に反し、権利濫用として許されない。

すなわち、右積立ての合意は、控訴人が被控訴人の従業員であるという被控訴人の優越的地位に基づいてなされたものであるし、また、控訴人が昭和五四年六月に右積立金から五三〇万円を払い戻した際に、被控訴人は、その払戻しが右積立目的である自宅取得計画を完成させるためのものではなく、控訴人には別途の将来計画があり得ることを知っていたし、さらに、被控訴人は、控訴人に対し、右積立金の払戻しによる合意の解除を申し出たこともない。以上のような事情の下においては、控訴人が被控訴人に対し自宅取得計画を断念したなどの理由で右積立金残金の返還を請求することは、雇用関係上の信頼関係にひびを入れ、失職するという冒険行為ともなるところ、被控訴人は、控訴人の右事情を利用して、右積立金の払戻しをさせないようにしていたものである。

六  再抗弁に対する認否

争う。すなわち、控訴人は、被控訴人の経営に当たっている赤松一族の一員である愛澤暢子(赤松政雄の子)の夫であるから、被控訴人が控訴人に対し雇用関係上の優越的地位を有することにはならない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1は当事者間に争いがない。

2  同2のうち、控訴人が別紙記載の金員のうち昭和四九年六月分までを控訴人の給料から積み立てたことは、当事者間に争いがない。

(一)  別紙記載の積立期間及び金員の趣旨につき当事者間に争いがあるので、当裁判所は、次のとおり判断する。

証拠(甲一、二、七、一一、一二の1ないし38、一三、乙二、控訴人本人、被控訴人代表者本人)及び右争いのない事実によれば、次の事実が認められる。

控訴人は、昭和四二年、妻の父赤松政雄が経営する被控訴人に就職したが、赤松政雄の発案で自宅購入資金とするために、昭和四五年一月から、給料からの天引きにより積み立てることとなり、別紙記載のとおり積み立て、これを西武信用金庫に預金したが、その預金通帳等は被控訴人が保管し、被控訴人が西武信用金庫からの借入金の担保や被控訴人の社屋の建築資金等に使用することもあった。そして、控訴人は、昭和五四年六月、自宅購入資金の一部とするために被控訴人に右積立金の返還を求め、五三〇万円の返還を受けて自宅を購入した。

右認定事実によると、別紙記載の金員は、被控訴人において消費することができる控訴人の給料天引きの積立金であって、被控訴人が控訴人のためにこれを保管するものとされていたことが認められるから、その積立ての合意は、消費寄託契約の性質を有するものというべきである。

これに対し、被控訴人は、別紙記載の金員のうち昭和四九年七月分以降の金員は借入金である旨主張し、被控訴人代表者も右主張に沿う供述をするが、被控訴人代表者本人尋問の結果により認められる借用証を作成していない事実や反対趣旨の控訴人本人尋問の結果に照らし、右供述はにわかに信用できない。他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  次に積立金の返還期限について判断するに、控訴人は、右積立金の返還期限について、前記のとおり、控訴人が被控訴人の従業員たる地位を失った時である旨主張するが、右返還期限の約定を認めるに足りる証拠はない。

しかし、前記認定のとおり、控訴人の右積立ての趣旨は、自宅購入資金に使用するというものであるから、その返還を求めるには、自宅購入資金に使用することが必要とされているというべきである。したがって、自宅購入の目的又は必要性がなくなった場合には、特定の返還期限の約定を認めるに足りる証拠がない以上、控訴人は、使用目的に拘束されることなく、いつでもその返還を請求できるものと解される。以上によれば、前記認定のとおり、積立てが昭和五四年三月で終了し、同年六月には控訴人は、自宅取得のため、そのうちから五三〇万円を引き出して自宅を購入しているのであるから、遅くとも右自宅を購入してから後は、自宅購入資金とする旨の右積立ての目的は達成され、控訴人は、いつでも右積立金の返還を請求できることになったというべきである。

これに対し、控訴人は、前記のとおり、自宅取得計画が頓挫したことはなく、右積立ての中止後も独自の資金調達計画を併用して給料の一部を蓄えるなどしてきたのであるから、右積立てが終了しても、右積立金返還の弁済期は到来しない旨主張する。しかし、仮に、控訴人において右積立終了後も独自に給料の一部を蓄えるなどしていたとしても、前記認定のとおり、右積立金の返還についての条件ないしは拘束が消滅した以上、控訴人は、その返還請求につき法律上の障害がなくなったのであるから、いつでもその返還を請求できることになったというべきである。

なお、後記のとおり、前記消費寄託契約は、商行為とはいえないから、右積立金返還債務の遅延損害金の利率は、民法所定の年五分となる。

3  同3は当事者間に争いがない。

二  抗弁(消滅時効)について

1  抗弁1について

前記認定事実によれば、控訴人と被控訴人との間の前記消費寄託契約は、控訴人の自宅取得のためになされたものであるから商行為とはいえない。したがって、右消費寄託契約に基づく積立金返還請求権は、商法五二二条所定の商行為によって生じた債権にならないから、その消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年となる。

そして、前記認定のとおり、控訴人は、遅くとも昭和五四年六月には右積立金の返還を求めることができたのであるから、右時点から既に一〇年が経過していることは明らかである。仮に、右積立金返還請求権が商行為によって生じた債権だとしても、既に商法五二二条所定の商事債権の消滅時効期間である五年を経過していることは明らかである。

2  同2について

抗弁2の事実は、控訴人において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

三  再抗弁(権利濫用)について

前記認定のように、控訴人は、控訴人の妻の父赤松政雄が経営する同族会社である被控訴人に勤務し、赤松政雄の発案で自宅購入資金とするために、別紙記載のとおり、給料天引きにより積み立て、かつ、その積立金については、被控訴人がこれを保管管理し、被控訴人の借入金の担保等に使用することもあったところ、控訴人は、昭和五四年六月、自宅購入資金の一部とするため、右積立金の一部五三〇万円の返還を受けたが、証拠(甲四、一三、控訴人本人、被控訴人代表者本人)によれば、その後平成四年に退職するまでの間は、控訴人において被控訴人に対し右積立金残金の返還を請求したことがなく、また、被控訴人も控訴人に対しその返還等を申し出たことはなかったものの、控訴人は、本訴提起前において、すでに右退職の際に被控訴人に対してその返還を求め、また、退職した年の平成四年中に中野簡易裁判所にその返還を求める調停の申立てをしたことが認められる。

ところで、同族会社である被控訴人の経営者の親族たる従業員として、控訴人は、右積立金を担保に供するなどして被控訴人の経営に協力する立場にあったのであるから、少なくとも被控訴人の従業員として継続的雇傭関係にある間は、控訴人に特に右積立金残金の使用の必要性が生ずるなどの特段の事情のない限り、その返還を請求することは事実上困難であり、その間にこのような返還請求をしなかったとしても、控訴人が権利の上に眠っていた者であるということはできないというべきである。他方、被控訴人としても、本件積立てが給料天引きの方法によってなされていることからも明らかなように雇傭関係にあることを前提としてされ、しかも、被控訴人においてこれを担保として利用することもあったというのであって、単なる金銭の貸借とは異なるものであるから、積立人たる従業員からの返還請求がなくても、残金の管理の状況を知らせるなど雇傭主として従業員の信頼に応え、従業員のために適切に管理すべき義務を負っていたというべきである。したがって、前認定のように控訴人が退職に際してあるいは退職後直ちにその返還を求めたにもかかわらず、いまだ雇傭関係が継続中の時点ですでに消滅時効に必要な期間が経過しているとして、その返還請求権の消滅時効を援用することは、控訴人において特にその権利行使を怠るなど特段の事情のない限り、従業員たる控訴人の雇傭主たる被控訴人に対する信頼を著しく裏切るものであり、従業員と雇傭主間における信義則に反し、権利濫用になるものというべきである。そして、本件においては、右特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はない。

四  結語

以上によれば、控訴人の本件請求は、積立金二五一万円及びこれに対する平成四年一月二一日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきであり、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水湛 裁判官 瀬戸正義 裁判官 西口元)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例